コンプレックスを克服するために

悩んでいるのは自分だけではない

  • 劣等感を抱いていると、「どうしていつも自分だけ」というような感覚や、「どうせ自分はまた」という諦めのような感覚に陥ることがあります。それはコンプレックスを抱いている状態特有の問題です。

    この社会がまるで自分にだけ厳しいような感覚を抱いてしまうのです。この世界のすべてが、まるで自分に適していないような錯覚を抱いてしまうのです。ですが、それは文字通り「錯覚」です。社会は誰に対しても平等で、誰に対しても時には甘く、時には厳しいものであるからです。私たちに必要なものは「世間」に対する適応術です。誰もが同じ条件であるはずのこの社会において、どのようなスタンスで挑めば乗り越えることができるのかという、「備え」です。

    社会には「特例」はありません。自分にだけ甘い法律や制度などが出来上がるわけもありませんし、国家として、社会として求められているものがそこに提示されているだけです。その枠組の中でいかに自分が得を出来るのか、満足できるのかということを追求していくことが社会で強く生き残っていくために必要なことなのです。それが「したたかさ」であったり、「たくましさ」であったり、その人特有の「強さ」なのです。

    何もかもが順風満帆であるような人はいません。誰もが何かに悩んでいます。その悩みは人と比較すること自体がナンセンスでもあります。その境遇、その状態特有の悩みというものがあり、その解決方法も、その状態に陥らなければわからないものであるのです。

    それが「悩み」であり、「いつか解決すればいいな」という程度のものであるのか、それとも何かに取り組む際の「課題」であるのかということが問題です。また、容姿に関連したことでありどうしても解決できないようなことなのであれば、それをフォローする努力が必要になるかもしれません。

    必要なことは「前を向くこと」です。この社会で生きていくためには、成長するためには、「前を向く」ということがどうしても必要になるのです。前を向かなければ何も伸びません。ただ待っているだけでは、何も解決ません。どのような悩みであっても、どのような課題であっても、前を向いて解決を目指さなければ意味がないのです。

    そして、「どうして自分だけが」という意識もムダです。悩んでいるのは自分だけではないということです。悩んでいるのはみんな同じで、それぞれのフィールドでそれぞれの課題を抱いているということです。それを表に出していないだけで、みんな自分の身の振り方を考えています。どうすればより良い明日が迎えられるのかということを考えているのです。それは能力の問題なのか、自分の容姿に関することなのか、それもさまざまでしょう。大切なことは、社会は一定ではなく、みんなに対して厳しいということです。その中で自分を守るため、家族を守るため、戦い続けることが大切なのです。それは「意志」のみが原動力になることであり、その意志をどのように持続するのかということを考えなくてはいけません。