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悩みは誰にでもある
- 多少の悩みなどというものは誰にでもあります。完璧な人間などいないと、よくいうのですが、実際にそうなのです。「悩み」というものは「明日の自分」の可能性です。
本来「悩み」というものは誰とも共有出来ないものです。悩むという感覚は基本的に自分だけのものであり、自分自身が「嫌だ」と感じた感覚そのものです。それを紐解いていくと、そこに「なぜか」という理由を見つけることができるでしょう。「理由」、「目的」があるから悩むのですが、その悩みが「改善できることなのかどうか」ということが問題です。
例えば、今の自分の「スキル不足」が問題なのであれば、それを身につけるまで努力すればいいのです。努力で足りないのであれば、何度も何度も練習をすればいいのです。そのスキルを習得していないから悩むのであればそれが答えであり、カンタンなことなのです。
そのような「何かが足りない」、「何かをやりたいけど出来ない」ということに対する悩みには、どことなく自分を納得させている「言い訳」というものがつきものです。「時間がない」、「カラダが持たない」、「仕方がない」という具合に、「出来ない理由」を自分の中で用意することが多いものです。それはなにかを行うときの労力を鑑みて、それが「大変そうだから」というときに多いでしょう。自分を納得させるため、そして誰かに聞かれて「理由があるんだ」ということをわかってもらうために、そのような理由を付けるのです。
そのように矛盾した心理状態自体が「悩み」になっている場合があります。やればできることを、「やらない」ではなく「やれない」にしてしまう心理状態というものがあるのです。
対して、「自分にも人にもどうすることもできない問題」というものもあります。それは身体的なことに関わることであったり、すぐには好転しない経済状況であったりするでしょう。前述した「やらないというかやれない」にしたいという問題とはまた違った角度の悩みです。そのような悩みを持っている人に、「コンプレックスを抱いている」という状況が当てはまります。
身体的な特徴はどうしても改善することができません。外科的処置による整形などという手段も考えられますが、それが現実的ではない場合もあります。そのような悩みの場合にこそ、人は「そのような自分」と向きあう必要が出てくるものなのです。自分が「嫌だ」
と思っていることもすべてひっくるめて、「自分を自分として捉える」ということが求められます。その悩み、その自分の「弱点」のせいで人の視線が気になるということがコンプレックスの最大要因ですが、それを「乗り越える」ということでそれは解消されるものなのです。
多かれ少なかれ、そのような「どうしようもない」悩みというものは存在しているもので、それとどう向き合うのかということがコンプレックスとの戦い方の基本です。改善できればそれにこしたことはないものの、そうではない場合に、人としての強さが求められるのです。
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