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人が羨ましいという感覚
- コンプレックスを抱くときの理由として、「人とくらべて」というものがあります。私たちの価値観は一様ではないもので、「自分にとって」という要素が混ざるためとてもややこしいものなのですが、そのなかに「人と比べる」という判断基準が自然と混ざってしまっているものなのです。
それは主に「容姿」に関係することが挙げられます。人が見て、人に見られて、そして自分も「それ」を人に見てもらうために誇っているような部分は、必ず誰かが見ているものです。それは「いいな」とか、「羨ましい」という反応で返ってくるもので、それが人にとってはカタルシスになったり、「誇れる」ものであったりするわけです。
そのような「人が人に誇る」、そしてそれを見て「羨む」ということは「あこがれ」に発展したり、「自分もそうしたい」という気持ちに発展したりするものです。世の中の「モデル」と言われるような人達はそのような人の気持ちを引き出す「プロ」でもあります。「こうしたい」、「こうありたい」という気持ちは明日への活力にもなるものです。そのような人の気持ちが新しい消費を生み出して、社会を回しているという側面もあります。
ですから、何かに憧れるということは悪いことではありません。羨ましく感じて、あこがれを抱くということは、人として悪い感情ではないのです。ただ、それが「どうしようもないこと」であった場合にはそれが精神的に悪影響を及ぼす可能性はあります。
人にはそれぞれの状況があります。経済状況しかり、容姿の特徴も同じです。そのような「その人が置かれた環境」というものがその人にとってどのように作用するのかということです。その人がその環境、状況から脱することが容易なのであればいいのですが、そうではないことの方が多いから、その状況にあるのです。
それでも憧れを抱いたり、どうしても羨ましいと感じたりすることはあるもので、それによって起こる可能性があるものが「劣等感」、つまりコンプレックスです。
自分ではどうしようもない、自分だけではどうしても改善できない、自分だけではどうしても解消できないことがあるから、そこにコンプレックスが生じるのです。そのようなことを回避するためには、「自分で納得」することが必要です。自分ではどうしても出来ないと、納得することが必要なのです。それが出来ない場合に、コンプレックスが生じるのです。
大切なことは「それがすべて」ではないということです。それがすべてなのではなくて、他にも自分を活かせることがたくさんあると知ることです。自分を活かすために、もっと似合った服がある、自分らしさをより演出するために、もっと似合った場があると、視野を広げることが大切です。「それ」だけに固執することでどんどん視野は狭くなります。
コンプレックスを回避するために必要なことは、「固執」しないことです。それは大人として自分を納得させることにもつながるでしょう。
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