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人に認められるためには
- 私たちの人生は人に「評価」されることだらけです。就学してから卒業するまで、さらには就職してからもずっと、人に「評価」されるということを続けてきたのです。
学校の成績表が良ければ両親に褒められたものです。逆に期待されたほど成績が良くなければ叱られたものです。そのようなことを繰り返して、私たちは「自分はどれほどのものなのか」ということを痛感してきたことになります。テストの点数、営業成績、その他さまざまなことに評価されて、私たちは生きてきたのです。誰かの期待に応えること、それは両親であったり会社の上司であったり、そのようなことが当たり前になっていて、プレッシャーもあれば、達成したときの満足感もある、それが私たちの「日常」です。
ですが、一度何かに躓いてしまうとそれらの「期待」に応えることができなくなってしまいます。キッカケは小さな失敗かもしれません。キッカケは少しの躓きかもしれません。何かに失敗してしまって、それまで応えてきたことのすべてが崩れてしまう、そのような感覚が一気に襲い掛かってくるのです。自分はもっとできる「はず」だと思っていたのに、蓋を開けてみると何もできなくなっている。蓋を開けてみるとなにもかもが色あせて見える。
その瞬間から、世界が一変してしまうのです。
「期待」に対して応えられない自分、そしてその「結果」に対して明らかに落胆する「評価者」、それまで積み上げてきた「自信」が、一気に崩れてしまうのです。それまで積み重ねてきた「実績」も、一度の失敗で灰燼に帰すのです。そのような状況を人は「挫折」といいます。
何をするにしても、「状況」や「環境」の影響というものは避けられないもので、そのようなものに打ち負かされてしまうことがあります。どのような状況にあっても、どのような環境にあっても、常に安定した成果を出し続けることができればいいのですが、何事もそのようにうまくいくものではありません。誰もがプレッシャーと挫折を多かれ少なかれ味わうものなのですが、そのような「失敗」に対して耐性のない人はたったひとつの失敗で精神を折られてしまうこともあるのです。
心がくじけた瞬間に、その時見える世界が変わります。何もかもが楽しかった世界が一変し、何もかもが自分の「敵」に見えてしまうのです。そうなってしまうと、それまで発揮できていたパフォーマンスが発揮できなくなります。それまでの自分が嘘のように、できていたことまでもできなくなってしまうのです。それまでの自分が本当だったのか嘘だったのか、それすらもわからなくなってしまうのです。
「自信をなくしてしまう」そのような状態は人の能力を奪うものです。精神状態というものは人の働きに多いに関係するもので、勢いのある状態が続くと人はさらに輪をかけてチカラを発揮できるものなのですが、その逆もまた然りです。ダメなときはなにをやってもダメになってしまうこともあるのです。そのような状態、人の期待に応えられない状態は、なるべくはやく脱却したいものです。
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