コンプレックスを克服するために

状況によって尊ばれるものは違う

  • 何を「良い」とするのかということは時と場合によって異なるものです。それが身体的な特徴であっても、性格であっても、それぞれ時と場合、つまり「状況」によって良し悪しが分かれます。

    それが当人ではどうしようもないことなのであれば、それはそのまま「適正」という言葉に置き換えることができるでしょう。それらの長短すべてを総称して「個性」と言います。「個性」は、すべての人が持っているものです。「個性がない、全部普通」といっても、何が「普通」なのかということが問われるもので、そのような「普通」の基準ですら曖昧なのです。

    よく言われる「平凡」という言葉はそれ自体に意味がないものです。平凡であるということは「取り柄がない」ということですが、それではそこで言われる「取り柄」というものは「なんなのか」ということになります。これこそ、その時の状況で変わるものです。例えば仕事です。「普通の会社に入って普通に働いている」とよく言います。普通の会社とはなんなのか、普通に働くとはなんなのか、それに答えられる人は「実際に働いている社会人」だけです。そのような「普通」の感覚を、学生は持っていないものです。分からない人にとっては、「何が普通なのか」ということなどは全然わからないのです。

    そのようなことがたくさんあります。どのような分野においてもあるのです。例えば「歌を歌う」ということに関して、人によっては「歌えるだけですごい」のに、その道の人からしたら「そんな歌なにも上手ではない」ということになる場合もあります。それはその「道」にいるからわかることであり、言えることです。歌を歌うことに関して感覚的にわかっている人でなければ言えないことです。

    状況によって尊ばれるものは違うということは、当たり前のハナシです。この社会ではそれぞれの人がそれぞれの状況に特化して生きているものです。特化するということはその「道」に入るということです。その「道」に入らなければ成し得ない役割というものが人にはそれぞれあるのです。

    その道自体が、それぞれの人の「個性」に適ったものです。人が持つ特性、個性を活かして、自分の役割をまっとうするのです。だから「人は違う」のです。人が違うから多様な社会が成立しているのです。人がそれぞれ違うから、今のようなさまざまな仕事、さまざまな役割、さまざまな楽しいことが存在するのです。

    人が抱えた長短は、「個性」です。そして、その個性が光る場所が必ずあります。個性が光るということは、自分を活かすということです。自分が活かせるから、頑張れるのです。自分がそこに適合しているから、その場にいることができるのです。

    自分が「何にむいているのか」、見つけることは容易ではありません。とても難しいことであるともいえます。自分の「個性」を見つけることで、人によっては「短所」とされたことが活きるかもしれません。それが人の可能性です。人として人生を楽しむ秘訣なのです。