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「何をやってもダメ」というのは気のせい
- 不思議なもので、私たちはいったん「何か」でネガティブになってしまうと、その物事とは関係のないところまで「ダメだ」という意識を持ってしまうものなのです。
その根底にある意識が何なのかというと、「自分なんて」という意識です。「自分なんて所詮こんなものだ」、「自分には全然良いことは起きない」という「思い込み」が、本当にそのような状況を作ってしまうことがあるのです。私たち日々楽しいと感じること、「幸せだ」と感じることには、実は「絶対的な基準」などというものは存在しないということです。自分が楽しいと思えばそれは楽しいことになりますし、「つまらない」と感じてしまえば「つまらない」のです。
世の中にあるさまざまな物事の「見方」ひとつで、自分が生きている世界は変わるのです。どのようなことに可能性を見出すのか、どのようなことに価値を見出すのか、それはすべて「自分」が決めることです。
ですが、コンプレックスに囚われた人にありがちなこととして、「誰かのせいでこうなった」と考えてしまうことが多々見られます。「自分は悪くない、世間が悪い。周りの人が悪い。状況、環境が良くない。“こう”だったら自分も違った」と、何かのせいにして「自分は不幸だ」と考えてしまうことが多いのです。それが「容姿」に関わることであれば、「容姿」のせいで自分は不幸であると思いつめてしまうことでしょう。それが「能力」のコンプレックスであれば、自分の非力さを呪うでしょう。そのようなことがエスカレートすると、「どうしても超えられない、簡単には超えられない。自分はダメな人間で、価値がない」と、どんどん下の方に落ちこんでいくことになってしまうのです。
さらに、人はいったん「陰」な精神状態に陥ってしまうと、「悪いこと」ばかりに目がいってしまうのです。「自分だけが不幸」、「自分にはいいことはひとつも起こらない」という思い込みが、そのような悪い事柄ばかりを「記憶」させます。本当は悪いことと同じくらい「良いこと」も起こっているのに、そのようなことに気がつけなくなるのです。だから「自分はなにもかもダメで、良いことなどひとつもない。自分にとってこの世界は残酷だ」という気持ちになってしまうのです。
そもそもが「何をやってもダメ」という状況は起こりえません。そこにあるのはいつもと変わらない、人と変わらない日常だけです。人と変わらない日常を、人はそれぞれの視点と価値観で捉えているのです。人にとってはくだらないことが楽しかったり、またその逆で人が楽しいと思うことがつまらなかったりするのです。
そのようなことの繰り返し、バランスで私たちは生きているのです。どのようなことに価値を見出すのか、どのようなことが幸せだったのか、「陰」な精神状態に陥っている人は忘れているだけなのです。大切なことは、「自分を取り戻す」ということです。どのようなことが自分にとっては楽しいことなのかを、思い出すということなのです。
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